房総半島一周の旅について、わかりやすく解説してゆきます!
習志野・船橋の地理・歴史などを、やさしく解説してゆきます!
今回は、習志野・船橋の話題
今回の房総半島の旅は、千葉駅を出て総武本線で東京方面へと引き返す行程となります。
その途中、習志野・船橋といった街を通ります
千葉駅→稲毛駅→新検見川駅→幕張駅→津田沼駅→船橋駅→市川駅→(江戸川)→新小岩駅→(荒川)→平井駅→亀戸駅→錦糸町駅→両国駅→(隅田川)→浅草橋駅→秋葉原駅
※上記は全ての駅ではなく、スペースの都合上筆者が独断でピックアップしたもの
※錦糸町駅からは「支線」扱いであり、運転系統は「中央・総武線」となる
千葉駅を出て、習志野・船橋方面へ
千葉駅(千葉県千葉市)からで西へ総武線に沿っていくと、やがて習志野市の津田沼駅にまで至ります。
さらに、
- 船橋駅(千葉県船橋市)
- 市川駅(千葉県市川市)
などの方面に向かって進んで行きます。
なお、今回の房総半島の旅ではゴールを秋葉原駅(東京都千代田区)に設定しております。
そのため、まもなく房総半島の旅も終わりに近づきます。
津田沼駅(習志野市)に到着
津田沼駅は、習志野市の駅になります。
かつて、軍隊の街として栄えてきた 習志野市
千葉県習志野市は、かつて戦前に軍隊で栄えてきた町でした。
つまり、戦前の日本において軍事施設で栄えてきた「郡都」ということになります。
明治天皇から「篠原に習え」という由来で付けられた、習志野市
明治時代に、篠原国幹という優秀な指揮官がいて、明治天皇がその指揮官にとても感銘を受けたことから、
となったのが、地名の由来とされています(諸説あり)。
明治時代、千葉県では軍隊を街に誘致するメリットがあった
軍事基地を誘致することは、明治時代の各都市においてもメリットがありました。
それは、軍事基地があることによって、その街に住む兵士やその家族といった人々が増えるため、人口増が期待できます。
そうなると、その人達に飲食・食材・家具・自動車などを提供するサービス業や本屋などの店も増えるため、町が発展していきます。
すると結果的に、税収アップが期待できるからです。
その税収を元に町の道路やビルなどの施設に投資してゆくため、町がさらに発展してゆきます。
現在でも、木更津や館山には、自衛隊の駐屯地・基地がある
千葉県では、他にも木更津や館山といった地域でも、軍事施設が栄えています。
今でも、
- 自衛隊の基地(航空自衛隊・館山基地)
- 駐屯地(陸上自衛隊・木更津駐屯地)
があります。
駐屯地と基地の違い
ちなみに余談ですが、
- 駐屯地とは、陸上自衛隊に使われる用語
- 基地とは、海上自衛隊・航空自衛隊に使われる用語
となります。
陸上自衛隊はあくまで「移動」が前提であり、あくまでその場所に「駐屯」しているという位置付けになります。
したがって、陸上自衛隊に「基地」という用語は使いませんので、注意しましょう。
戦時中は、軍事基地がある町ほど、空襲のターゲットになりやすかった
しかし、残念ながら日本は戦争に負けたため、こうした街の軍事施設は、GHQによって徹底的に解体されていくことになります。
また、戦時中はこうした軍都ほど、B29などの爆撃機の空襲の対象になりやすいというデメリットもありました。
当時の国際条約では民間人の殺傷は禁止でしたが、軍事施設に限っては破壊していい、という決まりになっていたからです。
東京湾でも奥深い土地にあり、軍事的に重要視された習志野
船橋と習志野は、地図で見てもらえればわかるのですが、東京湾で最も奥深い位置にある場所になります。
東京湾に(首都東京を占領してやろうと画策し)侵入してくる外国船(戦艦)にとっては、船橋や習志野は、最も遠い位置にあります(※)。
※もちろん千葉市も、外国船にとっては遠い場所にあります。
そしてもちろん、千葉市も軍都でした。
つまり、これに何のメリットがあるのかというと、外国船(戦艦)にとっては最も遠くなって攻撃しにくいため、反撃の体制を整えるための、時間稼ぎができるわけですね。
横須賀や館山も、地形的に軍事施設が築かれやすかった
他方、東京湾の入口にあたる横須賀や館山も、入り組んだ入江の地形に位置するので、海軍の基地になりやすかったわけですね。
それは複雑な地形が、自然のバリヤーの役割を果たすからです。
これを「天然の良港」といいます。
横須賀については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

館山については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

東京湾に攻め込んでくる外国船は、まず横須賀・館山で滅多打ちにされた
つまり、首都・東京に攻め込まんとする外国船が東京湾に侵入しようものなら、まず入口にあたる横須賀・館山で、滅多打ちに叩きます。
ここで、横須賀・館山が戦ってくれている間に、万一の場合に備え、船橋・習志野では充分な反撃体制を整えるわけです。
しかし、
- 横須賀・館山が攻略され乗っ取られたら、
- 次は木更津などで、
- 最終的には、船橋や習志野で迎え討つことになる
というわけです。
今でも 三浦半島・房総半島沿岸に残る、 砲台跡
そして、東京湾を挟む三浦半島や房総半島には、沿岸部のあちこちに砲台がありました(今でも砲台跡があります)。
しかし太平洋戦争(大東亜戦争)末期にもなると、時代は戦艦よりも戦闘機や爆撃機の時代となっていたのでした。
そのため、こうした高高度を飛ぶ戦闘機・爆撃機に対して、せっかく配備した大砲の弾が届かないなど、日本軍はかなり苦戦したことと思います。
習志野(津田沼)にたくさんある、折れ曲がった線路
習志野(津田沼)には、「折れ曲がった線路」がよくあります。
それは、新京成線のルートに顕著にあらわれています。
なぜ折れ曲がった線路が、習志野に多いのか
それだけ曲がりくねっている理由は、軍隊の運転の練習のためだったとされています。
習志野にはかつて鉄道に関する軍隊が存在し、その役割は
- 敵国の鉄道を破壊したりする、
- 敵国に上陸した際に、鉄道を建設する
という役割がありました。
明治時代の戦争では、戦闘機や戦車などではなく、鉄道がとても重要視された
現代の軍隊は、戦闘機や戦車などがメインです。
しかし、明治~昭和初期の世界ではまだまだ鉄道や馬がメインの移動手段でした。
したがって、兵隊・武器・食糧など何を運ぶにも鉄道はとても重要なインフラでした。
逆をいえば、鉄道が無いばかりに、敵国に兵隊・武器・食糧を送れなかったら、味方が全滅してしまい、国が敗北・滅びるというリスクまでありました。
なので、鉄道の有無は、国家の存亡にかかわる重大事項だったのです。
その鉄道に関する重要拠点もまた、習志野だったのです。
船橋駅(船橋市)に到着
千葉県船橋市は、千葉県第二の大きな街になります。
東京へ近く、通勤・通学に便利な船橋市
船橋市は東京にも近く、また総武線快速があり、都心部へのアクセスがとてもよくなっています。
そのため、県庁所在地の千葉市よりもむしろ東京に通学・通勤するという、いわゆる「千葉都民」が多いといえます。
このように、千葉県に住んでいつつも東京都に通勤・通学する「千葉都民」が一般的になってきた理由として、やはり
- 船橋・習志野・市川といった地域が、鉄道(主に総武線快速)の発展・スピードアップによって、東京へのアクセスが向上した
のが理由といえます。
常磐線快速でも、松戸市・柏市辺りは東京に近い
また、常磐線の快速でも、都心へのアクセスが便利な千葉県松戸市・柏市といった地域も、県庁所在地の千葉市よりもむしろ東京都心への指向性が強いです。
そのため、「千葉都民」にあたる人々が多くなるエリアとなります。
もちろん、
- 埼玉県や神奈川県に住んでいるものの、東京に通学・通勤する、いわゆる「埼玉都民」「神奈川都民」
- 滋賀県・奈良県に住んでいるものの
- 大阪府・京都府へ通学・通勤する、いわゆる「滋賀府民」「奈良府民」
と呼ばれる存在の人々もあります(※)。
※あくまでWikipediaに載っていて、ある程度は世間で認知されていると思われるものを選びました)。
ただ、これらの「千葉都民」などのフレーズは(Wikipediaには載っており、メディアや報道などでも使用例はあるものの)正式に世の中に認められた用語ではなく、どちらかというと俗語に近いため、日常会話ではあまり多用しない方がよいでしょう。
したがって、あまり親しくない人に対して「あなたは千葉都民ですよね?」などという感じで会話すると(受けとる側の人によっては)失礼にあたる可能性があります。
そのため、こうした言葉の濫用は控えた方がいいでしょう。
「千葉都民」などの用語は、あくまで地理・経済を考察するための豆知識として知っておいてください。
「船橋市」の由来
船橋市の由来は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が「船で造った橋」に由来します。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は古事記などの日本神話に登場する、戦いの神様です。
また、第12代天皇である景行天皇の息子にあたります。
この父の景行天皇に命じられて、地元の大和国(現在の奈良県)を出発して、東国(つまり関東地方)の遠征に出たのでした。
日本武尊の東国遠征については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

日本武尊の東国遠征ルート
大和国を出発して東へ東へ進み、
- まるでRPGのように、モンスターや敵を倒しながら、
- 神奈川県の三浦半島に到達した日本武尊は、
- 命からがらなんとか東京湾を渡って、房総半島へ上陸
したのでした。
その日本武尊が、現代の船橋市に流れる海老川にさしかかったとき、川をわたるときに船で橋を作ったことから、船橋の由来となりました。
源頼朝も、房総半島にゆかりある人物
また、海老川の由来も、源平合戦のときに房総半島に上陸していた源頼朝に対して、村人が、エビを献上したことに由来しています。
源頼朝も、日本武尊のように、房総半島に上陸していた時期があったのです。
源頼朝の房総半島上陸については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

他にも、日本武尊にゆかりある地名はたくさんある
このように、日本の各地には日本武尊に由来する地名がたくさんあります。
その一つに、静岡県焼津市があります。
日本武尊に由来する地名については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

ニュータウンとしても便利な、習志野・船橋
習志野・船橋といったエリアではどんどんニュータウンが開発されてゆき、東京に近く便利で住みやすい街となっていっています。
それは家族一家で住みやすく、子育てもしやすいような施設や仕組み(例えば、病院・公園・診療所・広く住みやすい住居・育児関連の補助金の制度など)が整えられてゆき、まさに東京のベッドタウンという役割も果たしているでしょう。
船橋市は、その地方のマスコットキャラクターである「ふなっしー」も人気です。
次回は、市川方面へ
次は、市川駅に止まります!
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